京の都酒
kyo no miyako zake
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京の都酒とは、下記の条件をクリアした京都市内醸造の銘柄の内、さらに当組合が「京の都酒」と認定した日本酒を「京の都酒」といたします。
※認定銘柄には、商標登録された「京の都酒」マークが付されています。
京都での酒造りは5 世紀頃、秦氏により太秦ではじまりました。
8世紀には平安京の大内裏に「造酒司(みきのつかさ)」という酒造り専門の役所があり、宮中儀式用などに10 種類以上の酒を醸造・管理、酒造技術が進歩発展しました。平安時代後期には造酒司から技術者が市井へ流出し、大きな寺院などでの酒造りが始まり、商業が発達した鎌倉時代には民間の酒造りも活発になりました。
室町時代(1415 年)の酒屋名簿には洛中洛外に342 軒の造り酒屋があったとあり、日本で最初の酒の銘柄(商標)とされている「柳の酒」は京都五条西洞院の酒屋のものでした。
1467 年から10 年続いた応仁の乱で京の都は無政府状態となり、その後の戦国時代にかけて酒造技術は全国へ広がり、各地で地元の酒が醸造されるようになりました。
江戸時代(1603 年~)以降は政治の中心が京の都から移転。江戸の外食産業が発展し供給力があり流通の便の良い地酒が台頭して、京の都 の酒屋は数を減らしました。京都酒造組合の前身である「京都酒造商組合」が明治19 年11 月に設立 された際の記録には、醸造場131 箇所と記されています。
組合の成立後、まちなかの醸造場は、地下鉄開業による井戸水枯渇・地価の上昇などを理由に移転や廃業を余儀なくされ、数を減らしていきました。
昭和28 年に酒団法のもと伏見区を除く京都市の酒造会社を組合員とする現在の組合となった際には、醸造場29 箇所となっており、現在は3 箇所のみ。
組合として記録が残る明治時代からの酒の醸造数量をグラフ化すると、京都まちなかの日本酒はぽっちり。絶滅の危機にあると表現できそうな状況です。
「京の都での酒造りの歴史」をつなぐため、京都酒造組合は、松井酒造(左京区)・佐々木酒造(上京区)・羽田酒造(右京区)の醸造銘柄から「京の都酒」を認定。
かつての一大産地で今も酒造りを継承していることの、認知向上を目指しています。
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